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フラグハイアウトドアスタイル
誕生ヒストリー

フラグハイアウトドアスタイル(以後フラグと表記する)が誕生するまでの話をする前に、まずは私の経歴を少し話したいと思う。

私は今30代後半だが、18歳〜24歳までアパレル会社で働いていた。今まで3つくらいの会社に勤めていて、最初はストリート系ショップ、古着屋、カジュアルブランドの店で働いていた。

その後アンティーク家具屋を自身でオープンさせ、リサイクルショップも立ち上げ今に至る。

このような経歴を歩んで来たので、昔から人よりこだわりが強く、趣味嗜好が傾いていたのかもしれない。

「人とあまり被りたくない。自分自身のスタイルやこだわりを見つけたい。」

常々そう思いながら生きてきた。

そして今までの私は完全に振り切っているものが一番良いものだと信じて生きてきた。例えば私は革製品が昔から好きなのだが、革はコードバンが最高峰だと思っていた。そのジャンルの一番良いものを選べば間違いないと思っていたから。

でもそうではなかったのだ。

いざ買ってみるとコードバンは傷つきやすく、かなりドレッシーな印象が強いので普段使いにはあまり向かないし、気を使う靴で履き馴染みずらいのだ。ならどの革が良かったかと言えば、しっとり油分を含んでいるホーウィン社のクロムエクセルレザーの方が使いやすかったりする。傷も油分で消えるし防水性も持ち合わせていた。

車だってそうだった。四駆であればランドクルーザーが国内で最強だと信じて、当時は無理してランクルのシグナスというモデルを買った。

しかしいざ乗ってみれば悪路走行は車体が重たいせいかそこまで良くないし、雪道もあまり期待できるほどの安定性がなかった。これは比べるものではないとは思うが、当時リサイクル事業で使っていた4WDの軽トラの方がよっぽど悪路には強かったし粘りがあった。

そんな様々な自分の固定概念が崩される経験を経て、ある時街で出会った車があった。

Land Rover Defender110である。

いや、正確にはその時はランドローバー ディフェンダー自体知らなくて、「古いようだけど、何だこの独特の車は」と当時は思った。

その時は25歳くらいなので今から10年以上前のことになるが、それから今に至るまでディフェンダーの事がずっと頭にあった。

街で見た後色々ネットで調べたり、ユーチューブで動画を見たりして貪欲にディフェンダーの情報を仕入れた。

そしてその10年後についに私もディフェンダーを買う機会に恵まれた。

今まで私はそのジャンルの最高峰のものが一番素晴らしいというバカみたいな固まりきった頭でいたが、当時の私の基準で言えばこのディフェンダーはっきり言って全く最高峰ではなかった。

内装は商用車のようにチープだし、車体サイズ、重さの割にパワーはないし、視認性、ハンドルの切り幅などはっきり言って底辺クラスの車である。しかしディフェンダーに乗ってわかった。

これが私にとって最高峰の車なのだと。

高級な内装でもない。新しい車のようにハイテク機能もない。

だからと言って安くもない。むしろすごく高い車。

でもこの車が私にとってナンバーワンなのだ。

ディフェンダーが一番好きな理由なんて自分の中にしまっておけば良い。

まさに自己満。

でも何でも良いと思ったことを発信したい私は、この車の素晴らしさを誰かと共有したい。

私と同じディフェンダーが好きだと思ってくれる人とたくさん出会いたい。ディフェンダーを提供できる仕事ができたらどんなに良いか。

そんな思いが溜まりに溜まってフラグを立ち上げることにした。

フラグを立ち上げるまで。拠点作り編

しかしいざフラグアウトドアスタイルを立ち上げようと思っても、私にはお金も人脈も何もなかった。もともと私は広島県出身で、結婚を機に東京都に移り住んだのだが、何せ生まれて34年間広島県にいたので関東では人脈はゼロだった。

そんな新天地でさらに私はやった事のない新しい事業をスタートさせるという、かなりハードルの高い壁が立ちはだかっていた。

しかしここで諦めるわけにはいかなかった。結婚をして家族を支えねばいけない、そして好きな仕事を立ち上げずっとそれを仕事にしていきたい。様々なプレッシャーが私に襲いかかって来た。

まず私が動いたのは車や輸入をするにあたり、拠点となる場所を見つける事だった。毎日のように不動産サイトを見て倉庫物件を探し、昼間は立て看板を探してめぼしい地域を歩いて回った。

そして三ヶ月ほどする内に、山奥にはなるのだが相模原市緑区青山という場所に適度なサイズの倉庫を見つけることができ、その物件を取得した。

しかし倉庫は長年使っていなく、廃墟同然の状態。





鉄部分は錆び、ツタや草が覆い茂っており長年そのままだった様子が見て取れる。



さらに倉庫周りのあちこちにゴミが散乱しており、これらを捨てるのだけで二ヶ月を要した。 時折嫁の知り合いに手伝ってもらい、ほぼ一人でゴミなどを片付けたのだ。これだけでかなりの肉体疲労が襲ったが、前職のリサイクルで体を慣らしていたのでなんとは乗り越えることができた。

しかし悲劇は急に訪れた。

その年、大型の台風接近に伴い、神奈川県に集中豪雨が降り災害が起こったのだ。

しかも不運な事にこの緑区青山地域が災害の被害の中心地となり、当倉庫も大きな打撃を受けた。

山頂から土砂が流れ込み、建物は一部損壊し、裏の川は大氾濫した。



柵はなぎ倒され、大きな石が敷地に流れ込み文字通り被災したのだ。

「新しい仕事を立ち上げようとした矢先に何で。。」

本当にそう思ったが、ここでしょげるわけにはいかなかった。災害が去った後、一から泥さらいを始めた。



嫁友人の協力もあり、時間は二ヶ月を要したが、土砂の撤去を何とか完了した。 この時の手伝ってくれた人の感謝は計り知れない。廃棄も地元の クリーンセンターの方の配慮で何とか処分もできた。

それからは廃墟状態の倉庫を急ピッチで内装工事を行なった。これらも自分で行い、錆びた内外装の鉄部分を塗装しながら、中に事務所などを作って行った。









木部の骨組みから基礎まで自分で行っていった。

そうして一年を要したが、何とか倉庫として再び生き返らせることができた。



ディフェンダー仕入れ編

災害という予想外の出来事が起こったものの、何とかFRGの拠点は完成した。

しかし肝心なのはディフェンダーを仕入れる方法だ。

ネットでディフェンダーを検索し、良い仕入れ先がないか探してみた。しかし毎日懸命に検索しても、カーセンサーや専門店のディフェンダーが小数台ヒットするだけで、仕入れができそうなところは見当たらなかった。

そこで業者が出入りするオートオークションという、車の業者競売サイトに目をつけ、代行業者と繋がる事ができた。

そこから約4か月ほどディフェンダーの出品情報と、落札額を報告してもらった。

しかしLandRover Defenderというのはそもそも台数自体少なく、出てきても良い車両とは限らなかった。

しかしそんな良くない車両が出てきても、かなりの業者が競り合い、店頭価格ぐらいで競り落とされるのを目の当たりにした。

ディフェンダーの価値というものを再確認できて嬉しい反面、仕入れ値でディフェンダーを仕入れること自体無理なんじゃないかというショックもあった。

そこでわたしは国内でディフェンダーを仕入れることを諦め、本国であるイギリスに目を向けた。

車を自社で輸入し販売する。

これは非常に困難を極めた。

まず英国でコミュニケーションが取れる現地法人とのパイプ、そして日本に着いて車が走り出せるまでの国内登録。聞くだけだと簡単そうだが、全く簡単ではなかった。

今はネット時代なのでやり方自体は誰でも調べれば分かる。

しかし見えない高額な車両を現地で点検を含めて下見をしてもらい、現地ディーラーとやりとりして日本行きの船まで乗せてもらうのはとても大変な事だ。

しかも10万20万のお金ではなく、動かすのは数百万円であり、取引先の信頼関係は非常に重要だ。


しかし私は半年間取引先を辿りにたどり、ようやく信頼関係が結べる英国法人と出会えた。 そこからは密なやりとりでお互いの情報も開示しながら、うまく最初のディフェンダーを手配できた。

あちらもこっちを信頼頂いたおかげで、日本での登録業者の方も紹介いただけた。その方も非常に気さくな方で、細かい説明ややりとりなど非常に信頼がおける方だった。

このように人に恵まれて、何とかイギリスよりディフェンダー仕入れのパイプを作る事ができたのである。

苦労はしたが、なかなか通常築く事のできないルートをなんとか作りあげた。

英国でディフェンダーを売り出し整備をする方。輸出手続き、検品をして船に乗せるまでをして頂く方。日本に着いて乗り出せるよう保安検査、車検、排ガスの書類までをやってくれる方。

フラグが売り出す一台一台のディフェンダーには、このように見えないけどたくさんの方々の力が合わさって買い手の手元に届く。心のこもったディフェンダーをずっと届けたい。 こうした思いを持って今日も仕事をしている。